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真宗の教え

PREACHING

2018/10/20

浄土真宗はたくさんある仏教の宗派の一つだと思われていますが、そういうことではありません。「仏教、ここにあり!」という意味が「浄土真宗」という意味です。親鸞聖人は「生きた仏の教えがここにある」という意味で「浄土真宗」と言われました。親鸞聖人の著作として有名なものに「教行信証」というものがあります。これは浄土真宗の根本聖典であり、親鸞聖人が何度も推敲を重ねた上で完成に至った本です。

教行信証の教巻には「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり、一つには往相、二つには還相なり。」という言葉が記してあります。如来回向とは阿弥陀様から届けて下さる仏道です。普通、仏道を歩むとは、私たちが修行をして仏の悟りの世界に近づくことを言います。親鸞聖人は如来回向として阿弥陀様が私たちに近づいて下さり、如来回向の仏道こそが仏教であると考えました。その如来回向こそが親鸞聖人自身が救われた仏道です。法然上人、親鸞聖人は共に比叡山で仏道に入られました。法然上人は13歳で仏道に入られて、43歳でお念仏に出遇われました。親鸞聖人は9歳で仏道に入られて、29歳で法然上人門下に入られました。いずれも長い修行期間を経た上で如来回向のお念仏の道に入られました。

最澄と言えば比叡山を開かれたことで有名な高僧ですが、自身を「底下の最澄」と言われました。これは「最も劣った最澄」という意味です。最澄は懸命に戒律を守って仏道を歩まれましたが、だからこそ出てきた言葉であると言った先生がおられます。最澄ほどの僧侶が最低な人として自身を評価しました。こういった厳しい修行を伴う比叡山では法然上人・親鸞聖人共に救われることはありませんでした。そして最後にたどり着いたのが阿弥陀様の念仏一つで救われるという誓いの念仏です。阿弥陀様が名号として私たちに語り掛けて下さる念仏に出遇われたことにより、救われたのです。

私たちにとって問題なのは名号として名乗り出て下さっている阿弥陀様に私たちが出遇うことができるかどうかということです。
曽我量深師が御門徒に乞われて言われた言葉があります。それは若い女性が姑さんに頼まれて、何か曽我先生にありがたい言葉を書いてくれるようにお願いした時に書かれた言葉です。その内容は3点の問答でした。

Q1.仏様とはどんな人ですか?
Ans.私は南無阿弥陀仏であると名のっておいでになります
Q2.仏様はどこにおられますか?
Ans.仏様を念ずる人の前におられます
Q3.仏様を念ずるにはどのような方法がありますか?
Ans.「仏たすけましませ」と念じなさい。いつでもどこでもだれでもたやすく念ずることができます。

これらの問答より、仏様の方から名乗り出て、私たちを掴まえて下さるということが知られます。仏様に出会うことを浄土真宗では「回心」と言います。一度出会うと、決して別れることのない出会いになります。御文五帖目二十二通には以下のようなものがあります。

そもそも、当流勧化のおもむきをくはしくしりて、極楽に往生せんとおもはんひとは、まづ他力の信心といふことを存知すべきなり。それ、他力の信心といふはなにの要ぞといへば、かかるあさましきわれらごときの凡夫の身が、たやすく浄土へまゐるべき用意なり。(以下略)

法然上人、親鸞聖人共に長い年月をかけて聖道門の修行をしてきましたが、その結果わかったことは自分自身が「かかるあさましきわれらごときの凡夫」ということでした。修行に躓いたことによって、本当の自分に出会うことができました。自分自身のことは自分が一番わかっていると考えますが、私たちは「正体不明」「行先不明」で人生を生きているのではないでしょうか?自分の人生はこれから果たしていいことがあるのか、悪いことがあるのか、この先どのようになるかわかりませんが、「死」から逃れることはできません。しかし、真宗門徒であれば最終的にはお浄土に還ります。還るべき国があります。和讃では法然上人は「浄土に還帰せしめけり」とあります。親鸞聖人は亡くなる前に弟子たちに対して、必ず浄土で待ってますと伝えました。そういった信仰上の信念は生きる上での大切なものとして私たちはいただくことができます。

教行信証の行巻に「しかれば名を称するに、能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまう。」と記してあります。お念仏には「はたらき」があります。
「無明を破す」とは私たちの世界が無明であることを知らしめて下さることです。先日、お孫さんが病気になったのは田舎のお墓の墓じまいをしたせいではないかという相談を受けました。お宅に伺って詳しくお話しを聞くと、家族内の人間関係において少し考える方がよいのではないかという問題が見えてきました。私はその問題を改善するとお孫さんの病気の原因の一つは解消されるのではないかと思いました。どんな問題にも自分の糸はからんでいるものです。また、看病に伴って家事も大変になるので、その辛さのために、ついつい愚痴も出てくるとも話されました。しかし、愚痴をこぼしている自分に気が付いておられます。愚痴をこぼしている自分の姿、自らが煩悩具足の凡夫と気付いておられます。とても尊いことだと思いました。蓬茨祖運先生は「お念仏は光である」と言われました。私たちの闇を照らし出すのが光です。

「一切の志願を満てたまう。」とは大きな満足を私たちに与えて下さるということです。悟りを表す言葉として「常楽」「大楽」があります。「楽」は単に「楽しい」という意味ではありません。ふつうは楽しいことはいつか終わりが来ます。願い事がかなうことを助かると言いますが、かなったら満足するでしょうか。かなってしまったらまた新しい願い事が出てきます。「常楽」「大楽」「一切の志願を満てたまう。」とは何でしょうか?楽しいこと、つらいこと全てを含めた一切を受け止めて、それらを通して何かを得ることです。

仏法のご縁をいただく機会としては「逆縁」によるものが多いように思います。「さればよきことも、あしきことも業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまゐらすればこそ、他力にては候へ」は歎異抄のことばですが、都合のいいことも悪いことも自分ひとりの力でなんとかなるものではなく、受け入れることができれば形が変わって全てよいことになります。「一切の功徳にすぐれたる 南無阿弥陀仏をとなふれば  三世の重障みなながら かならず転じて軽微なり」は現生利益和讃ですが、これは念仏に最高の功徳があることを表したものです。過去現在未来の三世にわたるような重い障り・業報さえも必ず形が変わって少し軽くなるということです(消えてなくなるものではありませんが)。お念仏のはたらきによって、たとえ重たい問題であっても自分との係りについて気付き、それを背負って再び立ち上がる力が与えられるということです。


2018/09/08

本日は「報恩のめざめ」という講題でお話をさせていただきます。「知恩」とは「為されたことを知る」ということです。してもらったことを知るということはなかなか難しいことですが、それを「知恩」と言います。これを知らなければ自分の思いばかりを振り回して、周りが見えなくなってしまいます。恩を知れば、「報徳」つまり何かをせずにはおられなくなります。これは頭でわかるということではなく、自分の身で感じるという心が自ずと生じてきます。親鸞聖人の生涯は「知恩報徳」の生涯でした。没落貴族の子息であった親鸞聖人は比叡山に九歳のときに入り、20年にわたって修行をしましたが、そこで救われることはありませんでした。比叡山を降りて聖徳太子の祀られている六角堂に籠りました。そこでの夢のお告げに従って、法然上人の門下に入りました。「ただ念仏して」こそ仏に助けられるという法然上人の仰せに従って6年間念仏の教えを受けました。35歳で念仏の弾圧を受け、流罪となりました。『御伝鈔』にはその時親鸞聖人が「もしわれ配所におもむかずば、何によりてか辺鄙の群類を化せん。これ猶師教の恩致なり」と言われたと記されています。「師教の恩致」とは師の教えのご恩という意味です。つまり、このことがご縁となって越後の人々に念仏の教えを弘めることができた、そのことこそ師のおかげであるということです。

 

『 あたりまえ 』

 

あたりまえ

こんなすばらしい事をみんなはなぜよろこばないのでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる お母さんがいる 手が二本あって足が二本ある

行きたいところには自分で歩いてゆける 手をのばせばなんでもとれる

音が聞こえて声がでる

こんなしあわせはあるでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない あたりまえだ、と笑ってすます

食事がたべられる

夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝が来る 空気をむねいっぱいにすえる

笑える、泣ける、叫ぶこともできる 走りまわれる

みんなあたりまえのこと

こんなにすばらしいことを、みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ

なぜでしょう

あたりまえ

 

この詩を書かれたのは井村和清さんというお医者さんです。30歳の頃に膝に悪性腫瘍がみつかり、膝から下を切断しました。義足をつけて勤務を続けましたが、事情によって退職することとなり、皆さんに挨拶をされました。そのときに悲しい3つのこととして ①患者さんを診てもどうしても治せない患者さんがいることの悲しさ ②経済的に困っている患者さんが存在すること ③患者さんの気持ちになってあげることのできない悲しさ を挙げられました。その中で③番目の悲しさが特につらいことです。誰かが私を心配してくれると、私たちは生きていくことができます。阿弥陀様は「同悲同苦」といって、私たちに寄り添って悲しみと苦しみを共有してくださる「同体の大悲」である存在です。

井村さんが医者であるとともに患者であるという立場から著した本があります。『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』という本です。井村さんはこの本が出版される前に亡くなられました。飛鳥とは長女の名前で、亡くなられた時に、奥さんのおなかのなかに二女がおられました。この本は二人の子供たちへの思いを綴られたものです。この本の中に、「目に見えるものだけが全てではなく、目に見えないものこそがずっと残るものであり、それこそが大切なものです」と記してあります。亡くなった人は目には見えませんが、私たちに色々なはたらきをなさっています。亡き人を案じる私たちは亡き人から案じられています。

真宗とは「真実を宗とする」という意味で、「宗」とは「要」ということです。真実は目に見えませんが、大きなはたらきをしています。亡き人は大きなはたらきを以て、私たちを見守っています。このはたらきを「念力」とか「願力」といいます。親は死んでも願いは残ります。そして、仏さまの願いである本願に目覚めさせてもらうことが大切なことです。

井村さんは亡くなる前にご両親にお礼を言うために富山に帰省しました。生きている内に親に対してお礼をいうことはなかなかできません。親を亡くして初めて親に出遇うことが多いと思います。親は子供と一体の関係であり、それは「自利利他」と言う言葉で表すことができます。つまり子供の幸せは親の幸せであるということです。仏様はすべての人々に「あなたが幸せを得なければ、私は幸せになることはない」という存在です。

お経には「若不生者 不取正覚」という言葉があります。「もしあなたがお浄土に生まれなければ、私は覚りを得ません」という意味です。親の願い、仏さまの願いに私たちが目覚めさせていただくということは大きな意味があります。

西川和榮さんの詩に「吸うて吐き 吸うて吐きつるこの呼吸の ただごとでなき このただのこと」というものがあります。目には見えない大切な空気のはたらきによって私たちは生かされています。仏さまは色々なかたちをもって私たちにはたらいています。空気もまた仏さまの姿の一つです。決して当たり前のことではなく、仏さまのはたらきによってここにおらせていただいています。

先日、お寺で法事を勤めました。施主さんの養父の五十回忌と養母の二十三回忌です。施主さんは幼いときに養子に入りました。施主さんの実父は大阪に養子に出したくなかったそうです。その実父の思いが施主さんに伝わって、大阪で頑張られていると思います。その方はお内仏も大事にされており、親からの思いを受け継いでおられる方です。お念仏は私たちを含む広い十方世界に対して呼び掛けられている名前です。ですので、お念仏を「御名」とか「名号」と言います。これは「如来回向」といって、如来様から私たちに対して回し向けて下さっている名前です。これによって如来様のお心を私たちがいただくことができます。曽我量深師は私たちが無条件で絶対的に如来様から信じられていることを「絶対信」と呼びました。お経のなかには「一一の光明 遍く十方世界を照らす 念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」とあります。阿弥陀様のはたらきは光となって私たちを照らします。念仏の衆生を摂め取って捨てません。念仏を称える人だけという意味ではなく、あらゆる人に念仏を称えてほしいという意味です。また『浄土和讃』には

十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし

摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる

とあります。「摂」とは逃げるものを捕まえてでもという意味があります。阿弥陀様が様々な形をとって私を捕まえて助けてくださるということです。「不捨」(捨てない)とは「待つことのできるはたらき」です。『浄土和讃』に

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり

法身の光輪きわもなく 世の盲冥をてらすなり

がありますが、これは「阿弥陀様が仏様になられてから十劫(とても長い時間)が経ちました。仏様のはたらきが光となって私たちの闇を照らして下さっています」ということですが、これが「不捨」です。東井義雄先生は「根を養えば 樹は育つ」とおっしゃいました。深い愛情を注いで、大事に育てれば時間はかかるかもしれないがいつかは大きく育ちます。阿弥陀様の「不捨」とはこれと同様、「いつまでも待ってますよ」というはたらきです。阿弥陀様は何を以てしても間に合わないときは私のところに帰って来ると思っておられ、その時まで待っておられます。私たちは生老病死から逃れることはできません。念仏の教えは生と死は一体であり、「生死一如」といいます。これに対して娑婆世界のとらえ方は「生死の境」を作ってしまう世界です。生と死を分けています。無量寿のいのちをもつ阿弥陀仏によって生かされ、浄土に還って仏にならせていただくのです。私たちもまた無量寿のいのちに遇わせていただく身です。

 

生き死には 花の咲くごと 散るがごと 弥陀のいのちの かぎろいの中(藤原正遠)

 

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2018/03/08

 

お寺でのお勤めはお経を読むことと思われており、浄土真宗にはお経として「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経がありますが、平生は正信偈をお勤めすることがほとんどです。。本日は正信偈をお勤めされてました。しかし、正信偈はお経ではありません。お経はお釈迦様が説かれたものといわれています。全てのお経をお釈迦様が説いたものとは限りませんが、仏法の精神は受け継がれて私たちに伝わっています。私のお寺がある奈良県香芝の地域では冠婚葬祭を通じて仏法に触れる機会があります。しかし、近くにたくさんある新興住宅地にはお寺がないので、仏法に触れる機会がありません。ですが、そういった方もお葬式などをご縁として仏法に触れ、興味を示してくれることもあります。宗教離れとよく言われますが、日本人としての文化の底には仏教の精神が流れていることがわかると思います。

 

正信偈は親鸞聖人の著作である教行信証(正式名称は「顕浄土真実教行証文類」)の中に書かれている詩歌です。「顕浄土真実教行証文類」は「浄土の真実を顕(あきら)かにする教と行と証について書かれた文章を集めたもの」という意味です。つまり浄土に関する様々なお経のエッセンスを集めた書物ということです。「教」はその教えを指し、「行」はその教えに従って生きること、「証」はそれによって悟りを得ることです。その略称にはさらに「信」という文字が追加されています。「教」「行」「証」は仏教においてはどの宗派においても共通するものですが、普通の暮らしを営む人にとって「行(修行)」を行うことは容易ではありません。そういう人は悟りの境地に至ることはできなくなってしまいます。必ず私たちは救われるという阿弥陀仏の教えを信じることが真宗門徒の「行」であり、そういう意味では「行」と「信」は一致します。そのため、この大切な意味を有する「信」の文字を追加してあります。教行信証の中で、信巻が一番量が多いことからも「信」が大切なことであることがわかります。

 

正信偈の中で「蓮華蔵世界」という言葉が出てきます。これは華厳経というお経に出てくる、お浄土のことを表す言葉です。また、同じく正信偈の中の「分陀利華」という言葉は白蓮華(白い蓮華の花)のことで、「観無量寿経」というお経の中に「念仏を称える人は白い蓮のような人です」と記しています。維摩経というお経の中には「譬えば高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の汚泥にすなわち此の華を生ずるが如し。」と信心の定まった人のことを蓮華に例え、汚泥のことを私たちの住む煩悩にまみれた娑婆世界に例えています。私たちは生きていくために殺生をしたり、嘘をついたりと多くの罪を犯しています。これを当たり前のように思っていると、ずっと泥の世界に埋まったままです。しかし、そのことを受け止めて生きられるようになると、生きることがありがたく、一層の喜びに溢れることとなります。他人に迷惑をかけずに生きることができないものが人間であり、そのことを自覚し、生かさせていただいていることに気付くと、あらゆるものに対してありがたいという気持ちが生まれ、充実した人生を送ることができます。

 

蓮華の特徴を言う「淤泥不染の徳」はこのような信心を得た人にたとえられます。信心という花は煩悩にまみれた私たちの生活の中から花開くからです。また、これは「蓮華の五徳」と呼ばれる五つの徳の一つです。

 

五徳の中の残り4つの徳ですが、「一茎一花の徳」とは1本の茎の上には1つの花しか咲かないことから、私たちのいのちは一人ひとりに固有のもので、他の誰とも変わりようがないということを表しています。

 

「花果同時の徳」とは蓮の花は咲いたときに同時に実が出来ている様を指します。私たちにとって、段階を踏みながら修行し、その修行の成果として花を咲かせ、涅槃という実を実らせるということは大変に困難なことです。しかし、信心の世界では自分が生かされているということに気付いたときには既に救われています。信心に目覚めたときには信心が定まる様子を蓮の花が咲くと同時に実ることに例えています。

 

「一花多果の徳」は一本の蓮の花にたくさんの実ができる様子を指しています。真実の教えに出会うと、一気にたくさんの真実が見えてくることを例えています。それが多くの人々の幸せに繋がっていくことでもあります。

 

「中虚外直の徳」は蓮の茎に栄養を運ぶために管のように穴が開いている様子を指します。奈良のお寺では蓮の葉にお酒をついで、反対側の茎の先からお酒を飲む「象鼻杯」を初夏の風物詩としてイベントを行っているところがあります。茎が立って、その先に花をつけている様子は一見すると弱くてすぐに折れてしまいそうですが、空洞が茎の中にあることによって強度が増しています。私たちはそれぞれ弱い人間ですが、信心をいただくことにより大きな蓮の花を支えられるほどの強さを得ることができます。蓮の花を私たちが見ることによってお念仏をいただき信心を得ることの大切さを知り、人生の方向を確認することができます。

 

たとえ五濁悪世の世の中であっても、その世界の中には五徳が存在します。それを知るため法座の場はいつでも皆様を歓迎する場であり、ありがたい場であることを多くの方に知ってほしいと思います。

 

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2018/02/02

 

昔から故郷を想ってうたわれた詩歌はたくさんあります。しかし、生涯生まれ故郷を離れない人は故郷への郷愁はあまりないものだと思います。先日、京都の町屋で催された写真展を見に行く機会があり、たまたま相席になった方とお話をしました。神戸の出身で、震災後イギリスに渡り、それ以来イギリスに住んでいる方でした。海外に住んでいると望郷の念が募りますが、震災後すっかり町並みが変わってしまって、今の神戸はその方の抱いているイメージとは異なるものだそうです。望郷の思いはありますが、実際に帰って来ると寂しい思いをするそうです。私も時々帰郷しますが、抱いているイメージとは異なるところもあり少々寂しい思いもします。東北は震災後復興が進んでいますが、町並みや田畑は震災前と全く同じ状態に戻るわけではありません。見た目だけではなく、そこでの生活や文化など全てを含めたものを故郷と実感するものなのでしょう。生活環境が変わってしまったため、帰りたくても生活が成り立たないなどの理由で帰れないと思っている方もたくさんおられます。故郷に対する思いは人によってそれぞれ異なる思いがあります。

 

私の住んでいる奈良はとてもいいところなのですが、生まれてからずっと住んでいる人はなかなかそのよさには気づいていません。古典には奈良に関する記述がたくさん見られます。古事記の中で日本武尊が故郷を想って詠ったのが「やまとは国のまほろば 畳なづく 青垣山籠れる 大和しうるはし」です。万葉集にも奈良に関する多くの詩があり、その一つに「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」が、また松尾芭蕉は「奈良七重七堂伽藍八重桜」とかつて繁栄した平城京を想って詠んでいます。その句から想を得て「奈良七重菜の花つゞき五形(れんげ)咲く」と夏目漱石が正岡子規に送った俳句があります。子規も「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という有名な句を漱石に送っています。

 

私の住む香芝市は最近急速に人口が増加し、住宅が増加したため、レンゲ畑もすっかり見られなくなりました。れんげは自然に咲いているのではなく、人間が種をまいて育てていました。そして田植えの前に、レンゲを土に鋤きこんで、肥料(緑肥)とします。レンゲは根に窒素を蓄えているので、その窒素が肥料になります。根に根粒菌が寄生しており、レンゲから栄養をもらう一方、レンゲに対して窒素を供給する役割を果たしています。レンゲと根粒菌はこのように共生をしながら、結果的に稲作に対しても肥料を供給しています。

 

親鸞聖人は阿弥陀仏の浄土を蓮華蔵世界と正信偈に訳しています。蓮の華に託し、そう表現するのはあらゆるものがそれぞれのはたらきを持っており、気づいていないことも多々ありますが、様々なところでお互いに関連し共生しているという世界観です。蓮の華と同じ名を持つレンゲ草ですが、レンゲ畑ののどかな風景はお米を育てるために必要な光景ですし、そのために根粒菌という目にも見えない小さな菌の助けが必要です。

 

しかし、最近は休耕田もすっかり増えてレンゲ畑を目にする機会は少なくなりました。この理由は休耕田が増えただけではなく、化学肥料が普及してきたこともあります。化学肥料は手間をかけることなく、窒素を与えることができるからです。そのため、手間のかかるレンゲを肥料として育てる農家の人は少なくなりました。

 

一方、はちみつを採るためにレンゲを積極的に育てている人もいます。レンゲは蓮の花に形が似ているため蓮華と言います。蓮の花は一本の茎の上に花がひとつ咲きます。レンゲは一見、一本の茎に花が一つのように見えますが、よく見ると一つの花ではなく、多くの小さな花が集まって蓮の花の形のようになっています。一つ一つの小さな花は筒状に細くなっていて、蜂がきちんと花の上にとまらないと蜜を吸うことができないようになっています。蜂がとまると、おしべとめしべが重みによって外に出てきて、蜂に花粉がつき、他の花で受粉します。レンゲは蜂に蜜をやる代わりに受粉を助けてもらい、互いに共生することが可能になっています。このようにレンゲは色々なものと共生しています。

 

私たちは日常生活において、「自分はこれだけしてあげているのに、あの人は何もしてくれなくて、恩知らずだ」と思うときがあります。しかし、私たちはご先祖様をはじめ、色々なものの恩恵を受けて生きさせていただいていますが、そのことになかなか気付けないので、それに対して感謝することはあまりありません。普段、自分は自分の思いや甲斐性で生きていると思っています。しかし、こうして聞法することで色々な恩を受けて生かさせていただいている自分に気付く機会を時々でも持つことができると、他者に対して「ありがたい」という気持ちを持って生きることができるのではないでしょうか。不平不満を持ち続けて死んでしまうよりずっと豊かな人生を送ることができます。共生しているという事実を自然の営みから気付かせてもらうということは大切なことだと思います。

 

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2018/01/08

 

忙しいという字は心を亡ぼすと書きます。安田理深先生は忙しいということは暇な証拠だと言われました。忙しいということは「どこに向かって生きているのか」、「何のために生まれてきたのか」という人生の根本問題を考えなくて済むからです。お寺では「お忙しい中」とは言わずに「ご多用の中」と言います。つまり「おおきなはたらきの中」という意味です。

 

告別式は肉体や目に見えるものとの別れであるとともに、目に見えないものとの出会いの場でもあります。それはその人の願い、想い、面影やことばの響きなどの温もり、そういったものと再び出会うことがお葬式の大事な意味合いだと思います。

 

先日、「死は終わりを意味する。しかし残された者にとっては始まりを意味する」ということばを目にしました。別れることによって、亡くなった方のことばが心に響き始めます。また、「出会いが人を育てていく。別れは人を深めていく」ということばも目にしました。死を大切なものとしていただいていくことが大事なことだと思います。仏教は生きるということに関わっている教えであり、先達も親鸞聖人の教えを通して人生を見つめなおしてきました。

 

なぜ見つめなおさなければならないのかというと、人間は砂漠や草原など依るべきものが何もない、文字通り目印になるものが何一つない、とりとめもない広がりを歩くと、自分ではまっすぐに歩いていると思っても利き手の方向に段々ずれていって、いずれは元の場所に戻ってしまうそうです。これを循環彷徨といいます。そこに目印としての木があれば、ずれていることに気付くことができます。我々の生活においても「教え」が目印となって得手の方に曲がっていることに気付かせ、本来の進むべき方向を指し示してくれます。親鸞聖人は「教行信証」に「行に迷い、信に惑う」と言われました。「行」は「行動」です。「信」とは自分の「信念」です。自分に自信を持つときは誰の意見も聞きません。そのときの惑いはとても深いまよいとなります。信念を持ってまっすぐに生きていると思っていても、教えを聞くことによって、自分が惑っていたことに気付かされます。

 

親鸞聖人は「浄土真宗」を宗派の名称としてではなく、「浄土を本当の拠り所として生きる」という意味とされたと思います。浄土は私たちが帰っていく世界です。私たちは日々「死」という別れの世界に近づいていきますが、同時に浄土という出会いの世界に日々近づいていきます。出会える世界をいただけることによって、苦しみの多い娑婆世界を生きることができるのでしょう。そういう意味で帰る世界としての浄土は私たちにとって大切な世界だと思います。

 

一楽真先生は著書の中で、「もしお浄土がどこかにあると仮定しましょう。でもそこに私が行くことによってすぐに穢土にしてしまうでしょう。浄土は場所の問題ではなく、生き方の問題だと思います」と書かれています。摂取不捨とは「えらばず、きらわず、みすてず」という生き方でしょう。阿弥陀様にお参りするということは「いやなことも、つらいこともいただきます」という生き方をいただくということでしょう。また苦しい事実を受け止められなかった自分を顧みて、改めてお念仏をいただくという意味合いもあると思います。

 

浄土とは場所の問題ではなく、生き方の問題です。浄土とは阿弥陀様が摂取不捨として全ての人を受け入れるところとして建立されたところです。そういう浄土に日一日近づいている私たちにとって、摂取不捨という生き方はとても大事なものだと思います。「せめて」という言葉は私たちの日々の生活にとって大切なものですが、実際には「どうせ」という言葉によって生きています。「選んで、嫌って、見捨て」ている私たちに、阿弥陀様は「えらばず、きらわず、みすてず」と呼び掛けられており、それこそがお浄土からのはたらきです。「老後」という言葉ができたのは明治時代以降だそうです。本来は「老入」つまり「老いに入る」という言葉だったそうです。誰もが「老いに入る」つまり変化し続けているということです。二十歳までは成長で、それ以降は老化が始まります。はた目にはよく変化がわかりませんが、少しづつ確実に老入していきます。東井義雄先生の詩に「雨」を詠んだものがあります。「天に向かってブツブツ言うな 雨の日には雨の日の生き方がある」というものです。悲しい時には悲しいときの生き方が、老いた時には老いた時の生き方が、病の時には病の時の生き方があります。どんなときも「えらばず、きらわず、みすてず」という言葉はブツブツ言うしかない私たちにこそ聞こえてくるのでしょう。また、東井義雄先生の詩に「老い」を詠んだものもあります。

 

「老」は失われていく過程のことではあるけれども得させてもらう過程でもある
視力はだんだん失われていくが花がだんだん美しく不思議に見させてもらえるようになる
聴力はだんだん失われていくがものいわぬ花の声が聞こえるようになる
蟻の声が聞こえるようになる みみずの声が聞こえるようになる
体力はどんどん失われていくがあたりまえであることのただごとでなさが
体中にわからせてもらえるようになる
失われていくことはさみしいが 得させていただくことは よろこび
「老」のよろこびは 得させていただく よろこび

 

和田稠先生は「老いることは凄まじいが別に他人にわかってもらおうとは思いません。どうぞ元気で長生きして下さい。元気にして年いけばそのうちわかります」とおっしゃってました。老いることによって通じることや気が付くことがあるということだと思います。苦悩の中でこそ出会えるものがあるということです。

 

私の勝手な解釈ですが、阿弥陀様の本願、第十一願「必至滅度の願」を、必ず通ずるというふうにいただいています。必ず通じて、響き合う世界がお浄土だと思います。今は通じなくても必ず通じる世界がある。仏壇に手を合わせている姿が必ず子どもや孫にいつか通ずる。苦悩と出会い、苦しみや悩みを「えらばず、きらわず、みすてず」いただいていくことが大切なことでしょう。苦悩を摂取することは知らないうちに私たちの力となります。

 

藤元正樹先生のことばに「花咲かす 見えぬ力を 春という」というものがあります。春はそれを感じる人のところに力となってやってきます。このことばの後は「人となす 見えぬ力を 仏という」です。私を人として育てるはたらきのことを仏というのでしょう。

 

私の弟は長浜で住職をしていますが、ある子どもが日曜学校のときに阿弥陀様の摂取不捨のポーズを見てこう言ったそうです。「阿弥陀様がOKと言ってるよ」。この言葉はまさに阿弥陀様の「えらばず、きらわず、みすてず」のお心を表しているものだと思います。「あなたはあなたのままでいいんですよ」という呼びかけは、自分のことですらえらんで、きらって見捨ててしまっている私たちにとって本当にかけがえのない呼びかけだと思います。

 

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