璧圓寺について
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寺院概要
璧円寺は仏さまに出遇う場として、六十年以上に渡り七百回以上の法話会(仏さまのはなしを聞く会)を開催し続け、地元の人の心の拠り所となっている浄土真宗のお寺です。毎月八日の午後二時は璧円寺の法話の時間ですので、是非みなさんお誘いあわせの上、御参詣下さい。また、当寺では葬儀等の仏事をはじめ、永代供養や納骨も承っております。
当寺の立地は神戸の閑静な住宅街の中であり、阪神電鉄大石駅より徒歩7分、JR摩耶駅より徒歩6分程度と交通の便が大変よいところにございます。阪急王子公園駅からも徒歩圏内にありますので、西宮、芦屋、三ノ宮からどの交通機関を利用してもお越し頂けます。もちろん駐車場も用意しておりますので、車での来院も可能です(阪神高速神戸線 摩耶インターより5分)。
神戸市灘区周辺で法事のご用命や納骨堂をお探しでしたら真宗大谷派(浄土真宗)璧円寺へお越しください。
寺院名 | 宗教法人 璧圓寺(へきえんじ) |
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所在地 | 〒657-0835 兵庫県神戸市灘区灘北通2-7-2 |
電話番号 | 078-861-1710 |
代表者名 | 後藤 裕司 |
宗派 | 真宗大谷派(お東) |
宗祖 | 親鸞聖人 |
本山 | 真宗本廟(東本願寺) |
本尊 | 阿弥陀如来 |
正依の経典 | 浄土三部経 ・仏説無量寿経(大経) ・仏説観無量寿経(観経) ・仏説阿弥陀経(小経) |
東本願寺御影堂
アクセスマップ
璧圓寺の歴史
ここからは璧圓寺の歴史について少し書いておきます。ただ、戦争で全部焼けてしまったので、あまり詳しい記録は残っていません。
璧圓寺の山号(さんごう)は普照山(ふしょうざん)、寺号は璧圓寺(へきえんじ)です。
●戦国時代の記録
河原村史によりますと、天文四年(1535年)に宗順というお坊さんが中興したことが書いてあります。●江戸時代の記録
江戸時代中期の明和2年(1765年)に杜多照月(とだしょうげつ 釋照月)というお坊さんが●私塾 轉開堂
第四代住職 杜多東景(釋慈猛)は嘉永2年(1849年)に漢学を教える私塾【轉開堂】を開きました。●昭和の災害
河原村は都賀野村、西灘村と名前をかえ、昭和4年(1929年)に神戸市となりました。●戦後の復興
戦後、璧圓寺は無住職の荒れ寺となりました。●阪神淡路大震災
再建を果たしましたが、再び自然災害が訪れました。●震災からの復興
震災後、多くの人たちの御支援をいただきながら住職 後藤継男(釋朗繼)は本堂、庫裡を再建した後、勇退しました。歴代住職の紹介
璧圓寺歴代住職 創建 1765年(明和2年)
中興開基 | 釋照月 | 杜多照月 | 86(行年) |
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二代 | 釋慈門 | 杜多慈門 | 67 |
三代 | 釋慈音 | 杜多慈音 | 56 |
四代 | 釋慈猛 | 杜多東景 | 61 |
五代 | 釋慈覚 | 杜多慈覚 | 不明 |
六代 | 釋慈博 | 杜多慈博 | 不明 |
七代 | 釋公巌 | 杜多公巌 | 67 |
八代 | 釋浄耀 | 小島浄耀 | 69 |
九代 | 釋浄國 | 小島國二 | 43 |
十代 | 釋博俊 | 後藤俊司 | 58 |
十一代 | 釋朗繼 | 後藤継男 | 82 |
十二代 | 釋慈裕 | 後藤裕司 | - |
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