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真宗の教え

PREACHING

2019/03/15

今年は平成最後の年です。まだ8日しか経っていませんが、その間に月に関する話題が2つありました。1つは中国が月の裏側に人工衛星を着陸させたことです。もう一つは太陽と地球の間に月が入って部分日食があったことです。月に関することと言えば、法然上人が月のことを和歌にしています。
「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」
この和歌に曲がつけられた「月影」は浄土宗の宗歌であると共に、浄土宗の宗門の学校の校歌にも使われています。
「影」は「光」そのものの意味です。「月影の いたらぬ里は なけれども」は月の光はどの場所にも隔てなく届いているという意味です。昔は今と違って夜が真っ暗だったので、月の光の方が太陽の光より印象深いものでした。「眺むる人の 心にぞすむ」とは普段意識することがなく、当たり前のように思える月を見上げる人だけの心のなかに澄みわたっているという意味です。月を見あげる気持ちがない人にはその光が澄み渡ることはありません。月に例えられているのは阿弥陀さまの慈悲の光のことです。慈悲の光はあらゆる人の下に平等に降り注がれていますが、そのことを知ろうとしない人には光が届いていることがわかりません。
ところで、初めて空にある月のことを月として私たちが認識した時のことを覚えていますか?恐らく誰かから「あれが月だよ」と指を指して教えてもらったからではないでしょうか?七高僧の第一は龍樹という人です。龍樹は「大智度論」という本を著されました。その中に「指月の譬」があります。これは月のことを知らない人に月を教えるためには、月を指で指し示して教えますが、月のことを知らない人は月を指している指の方に注目してしまうということを表しています。月のことを教えるためには指し示すことが必要ですが、指を使うと指の方に注目されてしまうというジレンマが生じます。月は阿弥陀仏の教えを示し、指は仏法を説く人のことを示します。仏法を説く人にばかり注目すると、本当の仏法が見えなくなりますよという譬えです。仏法を学ぶ過程においては「月」を見ずに「指」ばかりが気になってしまうというのはありがちなことです。阿弥陀仏の教えは「不可称不可説不可思議」といい「思いはかることも、説きつくすことも、思議することもできない」ものなので、自分自身の心で気付かなければなりません。
朝日新聞のコラムでジュンパ・ラヒリさんの言葉を紹介していました。それは「彼らがわたしの言うことがわからないのは、わかろうとしないからだ」というものです。言葉はそれを聞こうとする人のもとにしか届きません。関心のない人にはいくら言葉を尽くしても伝わりません。それは「聞く」ということは他者を人として尊重する意味合いがあるからだそうです。また、「話す」側にしても聞いてくれる人がいなければ話すということが成立しません。話す側は聞き手を意識して、月を指す指を見られるような話しではなく、指し示した月を見てもらえるような話しをしなければなりません。私も過去の残念な経験を踏まえた上で、自分に言い聞かせています。一方では聞き手の聞き方も最近は変化してきているように思います。話し手は起承転結のようなストーリを考えて話をしますが、はじめから結論を求める人が増えてきているように思います。そこで話し手と聞き手の間で齟齬が生じてくるのは残念なことです。結果的に指示している月を見ていただけないことになってしまうので、言葉というものは難しいものだなと思います。
「月影」はお経(仏説観無量寿経)の「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」という言葉を解釈したものです。阿弥陀様の光はあらゆる人の上に平等に届いています。お念仏を信じる人はそのことをよくご存じですが、信じていない人はそのことを知っていませんということです。法然上人はお経の言葉を伝えるために、よく和歌を詠まれました。
親鸞聖人は「一念多念文意」の中でこう表しています。
もとめざるに無上の功徳をえしめ、しらざるに広大の利益をうるなり
私たちは欲しがらなくても「無上の功徳」を既に得ており、「広大の利益」を受けているのにそのことに気付いていません。その知らない事実を知るためには全てをおまかせして、心から念仏を称えることが必要です。知らないままでいると、いのちを授かって、生かせていただいていることの素晴らしさがわかりません。わからなければ、「もっともっと」と欲しがるばかりで、さらに欲が深まります。満ち足りた喜びの世界に出遇うことができません。「知恩報徳」は恩を知ることによって本当のお念仏を称えることができるということです。それが本当の真宗のいただき方です。「月影」は真宗のいただき方を伝えるものであり、阿弥陀様の慈悲の御心を表現しているものです。


2019/03/11

今年も暮れてきましたが、改めて齢を重ねるごとにつらい別れが増えてくる気がします。お釈迦様は人生は苦の連続であることを教えて下さいました。「愛別離苦」は仏教でいう「四苦八苦」の五番目の苦しみです。愛しいものとも別れていかなければならないといおう苦しみです。私も両親や友人との別れを経験しています。最近、近くのお寺の住職であった友人が亡くなりました。病の中で彼が言っていた「お互いのお寺でお勤めしあうことが、こんなに嬉しいことだとは思わなかった」という言葉を忘れることができません。彼の院号は「大行院」です。「大行」とはお念仏のことです。お念仏は仏様が呼びかけ続ける大きなはたらきです。私たちは大切だと思っていることでも、それに慣れてくると次第に疎かになってきます。「行」も同様に、私の行であれば疎かになってきます。しかし念仏は仏様の「行」ですので、このようなことはありません。仏の行は「常」に行われている大行です。私たちの行は「恒」、つまり「ときどき」仏様からの常なるはたらきかけによって行われるものです。親鸞聖人はこのように仏の行と私たちの行を区別されました。仏様の常なるはたらきかけがあることによって、私たちは安心してときどき念仏を称えることができます。そこに「他力」のはたらきがあると思います。
本山の報恩講は11月21日から28日まで行われますが、これは親鸞聖人が最後に床に臥せられてから亡くなるまでの期間です。その親鸞聖人にとって一番大変であった期間が我々真宗門徒にとって最も大切な報恩講の期間になっています。『御伝鈔』には亡くなられるときに「念仏の息たえましましおわりぬ。」と記してあります。「念仏の息」とは私たちが生きている限り、仏様がはたらきかけ続けているということです。このことが他力であり、「信心」とはそのことに気付くことではないかと思います。
世自在王仏が出て来られる以前、53の仏様がおられました。法蔵菩薩が世自在王仏と出会い、長い期間の思惟とご修行を経て阿弥陀仏となられ、南無阿弥陀仏の念仏を私たちに届けてくれました。阿弥陀仏が出て来られる背景として世自在王仏の前に53の仏様がおられます。背景ということですが、たくさんの方がお寺とご縁を結んでおられますが、そのご縁を結ぶこととなった背景には大切な方を亡くしたという「悲」の逆縁、つまり「愛別離苦」があることが多いと思います。色々な表情の私たちの今、「果」には悲という「因」があるように思います。私たちが南無阿弥陀に出会う背景が53の仏の歴史として説かれているのだと思います。私も両親や友との果としての「悲」しい別れを通して、たくさんの気付き、「因」をいただくことができました。53仏の二番目は光遠仏ですが、宮城先生は「遠ければ遠いほどその光を増すものを光遠仏というのだ」とおっしゃられました。亡くなられたことによって遠くなったからこそ出会わさせていただくことのできるものの象徴として「光遠」を受け取っています。
子どもは親に対してひどい言葉を浴びせることがありますが、それは親に甘えるが故です。しかし、親が生きている間にそのことに気付くことはないでしょう。正親含英先生は「親に三種の親あり」とおっしゃていました。一つめは戸籍上の親で、私をこの世に産み出してくれた親です。二つめは育ての親で毎日の生活を共にする親です。その親は百面相の親と呼ばれます。これはこちら側の想いによって百のあるが如く変化する親です。こちらの都合によって姿を表す親です。親が生きてる間はこちらの都合に合わせて変化するので、本当の意味での出会いはないのでしょう。三つめは自分が苦しいときに「お父さん」「お母さん」という呼び声としてはたらきかけてくる親です。つらいときでも調子のいいときでも見守り続けてくれる親です。曽我量深先生は念仏のことを「念念仏」とおっしゃられました。「わたしのことを念じてくれる仏を念ずる」という意味です。どんな時でもわたしのことを念じてくれる、それが三つめの親との出会いでしょう。悲しいかな生きてる間にこの出会いを果たすのは難しい。親との本当の意味での出会いは亡くなった後になるのではないかなと思います。「遠ければ遠いほどその光を増す」光遠仏という言葉が胸に響きます。両親や友との悲しい別れを通して、光遠仏という言葉に改めて出遇わせていただいたのではないかと思います。


2019/02/03

今日は報恩講の「報恩」という言葉について考えます。この言葉は宗祖親鸞聖人の三十三回忌より意識されるようになりました。覚如は聖人三十三回忌のときに報恩講式という聖人の徳を称える文を作られました。これは聖人のことを後世に伝えるために作られた文です。また、蓮如上人は御文の中で、何度も「報恩講」という言葉を使われています。もともと「報恩講」という言葉は親鸞聖人のことで使われていたわけではなく、当時は他宗でも使われていました。蓮如上人が何度も使われたことにより世の中に広まり、浄土真宗固有のことばとして使われるようになりました。地方によっては「御取越」という言葉が使われることもあります。報恩という言葉の語源はお釈迦様のおられたインドのサンスクリット語の「クリタジュニャター」という言葉です。
お釈迦様の教えがインドから中国に伝わって漢文に翻訳され、日本に伝わりました。ただ、同じインドのお経を翻訳したものでも、翻訳した人によって解釈の差異があるため、漢文による表記の違いが何種類もありました。また、翻訳せずにインドの言葉の読み方を採用して当て字として漢字を使用する場合もありました。「南無」は「ナマス」という言葉で意味は「心から信ずる」ということで、「阿弥陀」は「アミターバ」「アミターユス」というインドの言葉を漢字にしたものであり、「ブッタ」というインドの言葉は「覚った者」という意味を持ったものです。親鸞聖人の書かれた教行信証には「「信」はすなはちこれ真なり、実なり、誠なり・・・」とあり、「信」という言葉の意味について様々なお考えを明らかにされました。
先ほど紹介したサンスクリット語の「クリタジュニャター」ですが「クリタ」は「為される」という意味で、「ジュニャター」とは「知る」「悟る」という意味ですから、「なされたことを知る」という意味です。親鸞聖人は「報徳」という言葉を単独で使用するよりも「知恩報徳」という言葉で度々使用しています。「知恩」の字は分解して解釈すると「原因を知る心」となります。「報恩」だと少しニュアンスが違います。七高僧をはじめとした過去の人たちが「知恩報徳」を大事にされていたのでそこから二文字をとって「報恩講」と呼ばれるようになったものと思います。他にも同意の語として「報恩謝德」という言葉も親鸞聖人や蓮如上人は使われました。
龍樹は大乗仏教の祖と言われます。「大乗仏教」は皆共に救われる教えを説く仏教です。主著「大智度論」には「恩の重きを知るがゆえに常に仏を念ず」「恩を知るがゆえに広く供養す」といずれも「恩を知る」と記されてあります。天親は「浄土論」を著し、曇鸞はその注釈書の「浄土論註」を著しました。これには「恩を知りて徳を報ず」と記されています。ここでも「知恩」と「報徳」の関係に言及しています。これによってインドから中国へ浄土教の教えがしっかりと伝えられました。
道綽は曇鸞の石碑にひどく感銘を受けたそうです。その弟子の善導は「往生礼讃」を著し、その中で「大悲伝普化 真成報仏恩」と説かれました。これを受けて親鸞聖人は教行信証の中で「仏恩の深遠なるを信知して正信念仏偈を作る」と記されています。「仏恩」を「信知」して正信偈を作られたことがわかります。「恩を知る」ということが行動を起こす一つの縁となっています。
ボランティア活動で有名な尾畠春夫さんは「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」と言われました。私たちは反対のことをしがちです。経済的には大きく発展しましたが、他人への感謝やつながり、いのちへの敬愛の念が希薄になっている私たちは幸せでしょうか。私たちの暮らしは豊かになっていますが、幸せになっているでしょうか。
神戸にレインボーハウスという阪神淡路大震災遺児のケアセンターがあります。1999年に使用開始されました。初代館長の林田さんは東北の震災の被災地に施設建設のため東北事務所長として赴任しました。その際阪神大震災の遺児が東北の震災の被災地活動に従事していることを心強く思い、大変喜ばれていました。阪神の震災を経験した遺児たちだからこそ我がこととして受け止め、被災地の人たちに優しく接することができました。受けた恩は与えた人に対して直接お返しすることはできないかもしれませんが、違う形でお返しすることができます。「知恩報徳」恩を知り感謝の気持ちを返すという一つのかたちであると思います。
一念多念文意に「もとめざるに無上の功徳をえしめ、しらざるに広大の利益をうるなり」と記してあります。私たちは求めたわけではないのに、知らないうちにいのちを与えられて暮らすことができています。様々なご縁によって生かされてきたことが知られます。それを知ると、周りに振り分けずにはいられません。共に幸せでなければ自分の幸せにはなりません。本当の幸せとは皆共にそうであることであり、それを表すことばが「知恩報徳」です。


2018/10/20

浄土真宗はたくさんある仏教の宗派の一つだと思われていますが、そういうことではありません。「仏教、ここにあり!」という意味が「浄土真宗」という意味です。親鸞聖人は「生きた仏の教えがここにある」という意味で「浄土真宗」と言われました。親鸞聖人の著作として有名なものに「教行信証」というものがあります。これは浄土真宗の根本聖典であり、親鸞聖人が何度も推敲を重ねた上で完成に至った本です。

教行信証の教巻には「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり、一つには往相、二つには還相なり。」という言葉が記してあります。如来回向とは阿弥陀様から届けて下さる仏道です。普通、仏道を歩むとは、私たちが修行をして仏の悟りの世界に近づくことを言います。親鸞聖人は如来回向として阿弥陀様が私たちに近づいて下さり、如来回向の仏道こそが仏教であると考えました。その如来回向こそが親鸞聖人自身が救われた仏道です。法然上人、親鸞聖人は共に比叡山で仏道に入られました。法然上人は13歳で仏道に入られて、43歳でお念仏に出遇われました。親鸞聖人は9歳で仏道に入られて、29歳で法然上人門下に入られました。いずれも長い修行期間を経た上で如来回向のお念仏の道に入られました。

最澄と言えば比叡山を開かれたことで有名な高僧ですが、自身を「底下の最澄」と言われました。これは「最も劣った最澄」という意味です。最澄は懸命に戒律を守って仏道を歩まれましたが、だからこそ出てきた言葉であると言った先生がおられます。最澄ほどの僧侶が最低な人として自身を評価しました。こういった厳しい修行を伴う比叡山では法然上人・親鸞聖人共に救われることはありませんでした。そして最後にたどり着いたのが阿弥陀様の念仏一つで救われるという誓いの念仏です。阿弥陀様が名号として私たちに語り掛けて下さる念仏に出遇われたことにより、救われたのです。

私たちにとって問題なのは名号として名乗り出て下さっている阿弥陀様に私たちが出遇うことができるかどうかということです。
曽我量深師が御門徒に乞われて言われた言葉があります。それは若い女性が姑さんに頼まれて、何か曽我先生にありがたい言葉を書いてくれるようにお願いした時に書かれた言葉です。その内容は3点の問答でした。

Q1.仏様とはどんな人ですか?
Ans.私は南無阿弥陀仏であると名のっておいでになります
Q2.仏様はどこにおられますか?
Ans.仏様を念ずる人の前におられます
Q3.仏様を念ずるにはどのような方法がありますか?
Ans.「仏たすけましませ」と念じなさい。いつでもどこでもだれでもたやすく念ずることができます。

これらの問答より、仏様の方から名乗り出て、私たちを掴まえて下さるということが知られます。仏様に出会うことを浄土真宗では「回心」と言います。一度出会うと、決して別れることのない出会いになります。御文五帖目二十二通には以下のようなものがあります。

そもそも、当流勧化のおもむきをくはしくしりて、極楽に往生せんとおもはんひとは、まづ他力の信心といふことを存知すべきなり。それ、他力の信心といふはなにの要ぞといへば、かかるあさましきわれらごときの凡夫の身が、たやすく浄土へまゐるべき用意なり。(以下略)

法然上人、親鸞聖人共に長い年月をかけて聖道門の修行をしてきましたが、その結果わかったことは自分自身が「かかるあさましきわれらごときの凡夫」ということでした。修行に躓いたことによって、本当の自分に出会うことができました。自分自身のことは自分が一番わかっていると考えますが、私たちは「正体不明」「行先不明」で人生を生きているのではないでしょうか?自分の人生はこれから果たしていいことがあるのか、悪いことがあるのか、この先どのようになるかわかりませんが、「死」から逃れることはできません。しかし、真宗門徒であれば最終的にはお浄土に還ります。還るべき国があります。和讃では法然上人は「浄土に還帰せしめけり」とあります。親鸞聖人は亡くなる前に弟子たちに対して、必ず浄土で待ってますと伝えました。そういった信仰上の信念は生きる上での大切なものとして私たちはいただくことができます。

教行信証の行巻に「しかれば名を称するに、能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまう。」と記してあります。お念仏には「はたらき」があります。
「無明を破す」とは私たちの世界が無明であることを知らしめて下さることです。先日、お孫さんが病気になったのは田舎のお墓の墓じまいをしたせいではないかという相談を受けました。お宅に伺って詳しくお話しを聞くと、家族内の人間関係において少し考える方がよいのではないかという問題が見えてきました。私はその問題を改善するとお孫さんの病気の原因の一つは解消されるのではないかと思いました。どんな問題にも自分の糸はからんでいるものです。また、看病に伴って家事も大変になるので、その辛さのために、ついつい愚痴も出てくるとも話されました。しかし、愚痴をこぼしている自分に気が付いておられます。愚痴をこぼしている自分の姿、自らが煩悩具足の凡夫と気付いておられます。とても尊いことだと思いました。蓬茨祖運先生は「お念仏は光である」と言われました。私たちの闇を照らし出すのが光です。

「一切の志願を満てたまう。」とは大きな満足を私たちに与えて下さるということです。悟りを表す言葉として「常楽」「大楽」があります。「楽」は単に「楽しい」という意味ではありません。ふつうは楽しいことはいつか終わりが来ます。願い事がかなうことを助かると言いますが、かなったら満足するでしょうか。かなってしまったらまた新しい願い事が出てきます。「常楽」「大楽」「一切の志願を満てたまう。」とは何でしょうか?楽しいこと、つらいこと全てを含めた一切を受け止めて、それらを通して何かを得ることです。

仏法のご縁をいただく機会としては「逆縁」によるものが多いように思います。「さればよきことも、あしきことも業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまゐらすればこそ、他力にては候へ」は歎異抄のことばですが、都合のいいことも悪いことも自分ひとりの力でなんとかなるものではなく、受け入れることができれば形が変わって全てよいことになります。「一切の功徳にすぐれたる 南無阿弥陀仏をとなふれば  三世の重障みなながら かならず転じて軽微なり」は現生利益和讃ですが、これは念仏に最高の功徳があることを表したものです。過去現在未来の三世にわたるような重い障り・業報さえも必ず形が変わって少し軽くなるということです(消えてなくなるものではありませんが)。お念仏のはたらきによって、たとえ重たい問題であっても自分との係りについて気付き、それを背負って再び立ち上がる力が与えられるということです。


2018/09/08

本日は「報恩のめざめ」という講題でお話をさせていただきます。「知恩」とは「為されたことを知る」ということです。してもらったことを知るということはなかなか難しいことですが、それを「知恩」と言います。これを知らなければ自分の思いばかりを振り回して、周りが見えなくなってしまいます。恩を知れば、「報徳」つまり何かをせずにはおられなくなります。これは頭でわかるということではなく、自分の身で感じるという心が自ずと生じてきます。親鸞聖人の生涯は「知恩報徳」の生涯でした。没落貴族の子息であった親鸞聖人は比叡山に九歳のときに入り、20年にわたって修行をしましたが、そこで救われることはありませんでした。比叡山を降りて聖徳太子の祀られている六角堂に籠りました。そこでの夢のお告げに従って、法然上人の門下に入りました。「ただ念仏して」こそ仏に助けられるという法然上人の仰せに従って6年間念仏の教えを受けました。35歳で念仏の弾圧を受け、流罪となりました。『御伝鈔』にはその時親鸞聖人が「もしわれ配所におもむかずば、何によりてか辺鄙の群類を化せん。これ猶師教の恩致なり」と言われたと記されています。「師教の恩致」とは師の教えのご恩という意味です。つまり、このことがご縁となって越後の人々に念仏の教えを弘めることができた、そのことこそ師のおかげであるということです。

 

『 あたりまえ 』

 

あたりまえ

こんなすばらしい事をみんなはなぜよろこばないのでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる お母さんがいる 手が二本あって足が二本ある

行きたいところには自分で歩いてゆける 手をのばせばなんでもとれる

音が聞こえて声がでる

こんなしあわせはあるでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない あたりまえだ、と笑ってすます

食事がたべられる

夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝が来る 空気をむねいっぱいにすえる

笑える、泣ける、叫ぶこともできる 走りまわれる

みんなあたりまえのこと

こんなにすばらしいことを、みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ

なぜでしょう

あたりまえ

 

この詩を書かれたのは井村和清さんというお医者さんです。30歳の頃に膝に悪性腫瘍がみつかり、膝から下を切断しました。義足をつけて勤務を続けましたが、事情によって退職することとなり、皆さんに挨拶をされました。そのときに悲しい3つのこととして ①患者さんを診てもどうしても治せない患者さんがいることの悲しさ ②経済的に困っている患者さんが存在すること ③患者さんの気持ちになってあげることのできない悲しさ を挙げられました。その中で③番目の悲しさが特につらいことです。誰かが私を心配してくれると、私たちは生きていくことができます。阿弥陀様は「同悲同苦」といって、私たちに寄り添って悲しみと苦しみを共有してくださる「同体の大悲」である存在です。

井村さんが医者であるとともに患者であるという立場から著した本があります。『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』という本です。井村さんはこの本が出版される前に亡くなられました。飛鳥とは長女の名前で、亡くなられた時に、奥さんのおなかのなかに二女がおられました。この本は二人の子供たちへの思いを綴られたものです。この本の中に、「目に見えるものだけが全てではなく、目に見えないものこそがずっと残るものであり、それこそが大切なものです」と記してあります。亡くなった人は目には見えませんが、私たちに色々なはたらきをなさっています。亡き人を案じる私たちは亡き人から案じられています。

真宗とは「真実を宗とする」という意味で、「宗」とは「要」ということです。真実は目に見えませんが、大きなはたらきをしています。亡き人は大きなはたらきを以て、私たちを見守っています。このはたらきを「念力」とか「願力」といいます。親は死んでも願いは残ります。そして、仏さまの願いである本願に目覚めさせてもらうことが大切なことです。

井村さんは亡くなる前にご両親にお礼を言うために富山に帰省しました。生きている内に親に対してお礼をいうことはなかなかできません。親を亡くして初めて親に出遇うことが多いと思います。親は子供と一体の関係であり、それは「自利利他」と言う言葉で表すことができます。つまり子供の幸せは親の幸せであるということです。仏様はすべての人々に「あなたが幸せを得なければ、私は幸せになることはない」という存在です。

お経には「若不生者 不取正覚」という言葉があります。「もしあなたがお浄土に生まれなければ、私は覚りを得ません」という意味です。親の願い、仏さまの願いに私たちが目覚めさせていただくということは大きな意味があります。

西川和榮さんの詩に「吸うて吐き 吸うて吐きつるこの呼吸の ただごとでなき このただのこと」というものがあります。目には見えない大切な空気のはたらきによって私たちは生かされています。仏さまは色々なかたちをもって私たちにはたらいています。空気もまた仏さまの姿の一つです。決して当たり前のことではなく、仏さまのはたらきによってここにおらせていただいています。

先日、お寺で法事を勤めました。施主さんの養父の五十回忌と養母の二十三回忌です。施主さんは幼いときに養子に入りました。施主さんの実父は大阪に養子に出したくなかったそうです。その実父の思いが施主さんに伝わって、大阪で頑張られていると思います。その方はお内仏も大事にされており、親からの思いを受け継いでおられる方です。お念仏は私たちを含む広い十方世界に対して呼び掛けられている名前です。ですので、お念仏を「御名」とか「名号」と言います。これは「如来回向」といって、如来様から私たちに対して回し向けて下さっている名前です。これによって如来様のお心を私たちがいただくことができます。曽我量深師は私たちが無条件で絶対的に如来様から信じられていることを「絶対信」と呼びました。お経のなかには「一一の光明 遍く十方世界を照らす 念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」とあります。阿弥陀様のはたらきは光となって私たちを照らします。念仏の衆生を摂め取って捨てません。念仏を称える人だけという意味ではなく、あらゆる人に念仏を称えてほしいという意味です。また『浄土和讃』には

十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし

摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる

とあります。「摂」とは逃げるものを捕まえてでもという意味があります。阿弥陀様が様々な形をとって私を捕まえて助けてくださるということです。「不捨」(捨てない)とは「待つことのできるはたらき」です。『浄土和讃』に

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり

法身の光輪きわもなく 世の盲冥をてらすなり

がありますが、これは「阿弥陀様が仏様になられてから十劫(とても長い時間)が経ちました。仏様のはたらきが光となって私たちの闇を照らして下さっています」ということですが、これが「不捨」です。東井義雄先生は「根を養えば 樹は育つ」とおっしゃいました。深い愛情を注いで、大事に育てれば時間はかかるかもしれないがいつかは大きく育ちます。阿弥陀様の「不捨」とはこれと同様、「いつまでも待ってますよ」というはたらきです。阿弥陀様は何を以てしても間に合わないときは私のところに帰って来ると思っておられ、その時まで待っておられます。私たちは生老病死から逃れることはできません。念仏の教えは生と死は一体であり、「生死一如」といいます。これに対して娑婆世界のとらえ方は「生死の境」を作ってしまう世界です。生と死を分けています。無量寿のいのちをもつ阿弥陀仏によって生かされ、浄土に還って仏にならせていただくのです。私たちもまた無量寿のいのちに遇わせていただく身です。

 

生き死には 花の咲くごと 散るがごと 弥陀のいのちの かぎろいの中(藤原正遠)

 

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