永代経法要
2021/06/10
令和三年度の永代経法要を6月8日に無事お勤めすることができました。
ご参詣及びユーチューブでご視聴いただいて皆様、ありがとうございました。
今月のことば
2021/05/13
ドーナツを見ていると、物事の本質が見えず、大切な部分を抜け落としている自分を見ているようだ。
私たちはいつも自我という眼鏡をかけ、物事を見たいようにしか見ておらず、自分の都合で、勝手な思いだけで色々なものを判断していないだろうか。
普段は、そのような自分に恥ずかしさや罪悪感をもたない。しかし、その事実に気づくきっかけこそが仏法(仏さまの眼)なのである。仏法(仏さまの眼)を通すと、今まで自己中心的で自分の力で生きてきたと思い込んでいた事実が、すべてまわりのおかけで、いわゆる「おかげさま」の中で生かされていた事実に気づかされるのである。(南御堂HPより引用)
瑠璃色の鳥
2021/05/10
先日裏山を散歩していると、オオルリに出会いました。深い瑠璃色と白のコントラストが見事な美しい鳥です。
「瑠璃」という言葉はお経の中にたくさん出てくる言葉です。厳しい修行をして、悟りを得るとお浄土の透き通った瑠璃色の大地が見えるそうです。
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今月のことば
2021/03/25
動物は深く迷ったり悩んだりはしないという。現在を全力で生きる彼らの生は尊い。
人間はそうはいかない。現在に落ち着けず、過去を悔いて、未来を不安がり、眠れぬ日々を過ごす。
とはいえ、悩む心があるからこそ、悩みを超えることができるとも言えよう。迷いも悩みもない人生は進歩も深化もしない。迷い悩む自分に気づけてこそ、前に進もうと思う。そして人として生まれ、生きていることを尊いと、うなずくことができるようになるのだ。
かつて源信僧都は「世の住みうきはいとうたよりなり(世の住みにくさは大切な便り・取意)」と仰った。迷い悩めることは人間の特権である。(南御堂HPより引用)
今月のことば
2020/08/23
人は亡くなったら何処へ行ってしまうのか。誰しもが抱く疑問ではないだろうか。お釈
迦様は死後のことについて、あなたたちの人生に関わりの無いことだからと、何もお答え
にならなかったという。
亡くなった方々の行方は、縁が深いほど気になるもの。お墓を前に様々な思いがこみ上げてくる。
しかし、その思いはお墓からやって来るのではい。自分のこころの中から、数々の思い出を通して、自然と湧き上がってくるものだ。お参りをきっかけに、いつも私と一緒にいてくれている、大切な存在にふと、気付かされる。 (南御堂HPより引用)
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